芸能人の美容整形は肯定されていいことなのか?真剣に考えてみた

以前、タレントの「有村藍里」氏が、美容整形ですごい可愛くなったみたいなことがニュースになり、大きな反響を呼んだ。多くの人が感動していたし、自分も、彼女の努力と勇気に心を打たれた。

だが、一方で、こうも思った。

「芸能人の美容整形が肯定されるのって、スポーツ選手のドーピングが褒められるようなものじゃね?」と。

医療技術を、何らかのディスアドバンテージの克服のための治療として使うのではなく、パフォーマンスの向上として使っているわけだよね?

ルックスを評価される芸能人が整形してよりよい顔になるのは、プロスポーツ選手がドーピングして身体能力を向上させるのと同じもののように思える。

ではなぜ、ドーピングが禁止される一方で整形手術が褒められるのかと言えば、たぶんそれが金になるからだと思う。「美容整形」は、これからめちゃくちゃ儲かる産業として期待が集まっているし、メディアもその意向には逆らえないのではあるまいか。

なぜドーピングが禁止されるか?

整形しようとどうしようと、「個人の勝手でしょ?」という意見も当然ある。でも、スポーツにおける筋肉増強剤などはそうはならない。

ではなぜ、「スポーツにおいてドーピングが禁止されているのか」というところから説明していきたい。

多くのスポーツにおいて、ドーピングで身体能力を向上させれば有利になるが、身体能力は他の選手たちとの相対的な関係によって決まるものだ。よって、一人の選手がドーピングを使った場合、他の選手は相対的に不利になってしまうので、結局みんながドーピングを使わざるをえなくなる。

ドーピングは、短期的に能力が向上するが、長期的には肉体に大きな損害を与えるものだ。そのため、スポーツにおいてドーピングがもし禁止されていなかった場合、すべての競技者は、薬によって命を削る戦いを強いられるだろう。

だからこそ、ドーピングによってパフォーマンスが高まるのがわかっていてもなお、使用を禁止することによって、健康を害しない健全な競争を守っている。

「個人の勝手」ではなく、一人が使うと使っていない人が相対的に不利になって、結果的にみんなが使わなければならなくなってしまうから問題なのだ。

当然ながら、ドーピングで使われる同じ薬物を、普通の生活を送れるようにするための治療目的として使うのは、むしろ推奨されることだ。人より秀でるためのパフォーマンス向上の用途で使うことが禁止されている。

 

「芸能界」という場で「美容整形」が肯定されてもいいのか?

ここでの主張は、治療目的での「美容整形」は望ましいことだが、トップ層がさらにパフォーマンスを向上させるための「美容整形」は、少なくとも大々的に肯定されていいことではないのではないか、という話だ。

「芸能界」は、ルックスの良さが重視される業界だ。スポーツほどわかりやすい競争ではないにしても、ルックスが競われる側面はあるだろう。

過酷な整形で話題になった「有村藍里」氏も、整形前が「ブス」というわけでは決してない。むしろ、一般的な基準では、整形前のルックスでも十分に秀でていると言えるだろう。ただ、芸能人というプロの基準では、本人的に基準に見合っているとは思えなかったということだ。

そして、本人は過酷な美容整形に挑み、多くの人に感動を与えた、ということになっている。

しかしこれは、そんなに感動的な話に落とし込まれてもいいものだろうか?

これはスポーツ選手に例えれば、一般的な基準では十分に身体能力が高いが、プロ基準では足が遅く、そのために非難されることもあってコンプレックスを抱えていた選手が、副作用に苦しみながらも筋肉増強剤によって走力アップを成し遂げた……といったような話ではないのか。

「美容整形」が悪いものとは言えないが、「競争」が行われるような場で、一人が「整形」に手を出したら、他のみんなも整形を始めなければならなくなってしまう。それは短期的にはみんながやりたがることであっても、長期的には後遺症などが残る可能性もあるし、少なくとも表向きには肯定するべきことではないと思うのだ。

アングラな領域においては、そのような「反則」が暗黙のうちに肯定されることもある。例えば、大迫力の殴り合いが魅力だった「昔のK1」なんかは、暗黙のうちにドーピングが解禁されていた。今の「AV業界」も、整形は暗黙の了解を得ていると言っていいかもしれない。

しかし、テレビの前のみんなが見る「芸能界」が、表向きに整形を肯定するのは、また何か違った話のように思える。

 

簡単に可愛くなれる美容整形なら今すぐやればいいのだが

自分は何も、保守的な価値観から美容整形を否定しているわけではない。

もし美容整形が、簡単にやれて、簡単に可愛くなれるようなものであれば、どんどんやればいいと思う。

「ノーリスク」なら、やらない手はない。美しくなったほうがいいに決まっている。

ただ、テレビで取り上げられた「有村藍里」氏の場合は

  • 数百万の費用が必要
  • 長期の手術期間と大きな傷み
  • 後遺症などのリスク

など、かなりの負担を強いる手術らしい。

この「負担の大きさ」こそが問題であり、芸能人がパフォーマンス向上のために、このような大きなリスクのある手術を行うことを、肯定するのはよくないと思う。

そもそも、20代の時点で数百万の資金を用意するということが、一握りのトップエリートか、身体を売っている女性にしかできないことなので、その時点で倫理的に推奨できることではないだろう。

 

完全に否定したくはないが、美容整形を基準にしてはいけない

自分のコンプレックスに悩み、それを解決するハイリスクな手段に臨み、それをすべて公開しようとする姿には、感動的なものがあるし、多くの人が感動しただろう。それはおかしなことではないが、だからと言って、「美容整形」は大々的に肯定されていいことではなく、あくまで「後ろめたいこと」でなければならない。

「整形」というのは性質上、終わりがなく、ひとつ直せば他のところも直したくなってしまうものだ。

もし美容整形が解禁されれば、際限のない競争が始まり、当事者たちは実質的に否応なく疲弊し、傷つくことになる。それに付随する現象として、若い女性は当然のように身体を売って整形費用を貯めなければならなくなるだろう。だから、芸能界のような公の場において、表向きに美容整形を肯定されるのは、望ましくないと考える。

少なくとも、整形によって認知を得たタレントが、美容整形の広告なんかをやりだすようになると、社会的な正当性は何もないと言えるだろう。

スポーツ競技においてドーピングが基準になってはいけないように、芸能界などの容姿が評価される場においても「美容整形が基準」になってはいけないのである。

 

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