「哲学」の古典名著20選!いつかは読みたい必読の古典

必読とも言える「哲学」の古典名著を20冊選んでみた。

その価値に文句をつける人はいないであろう、堅実な名著のみを選んだつもりだ。

「哲学」といっても、当時は自然科学などの区別もなかったし、政治学、経済学、社会学、自然科学など、そういうものをすべてひっくるめて「哲学」と呼ばれていた。

古典は、簡単に読めるものではないが、リストを眺めるだけでも勉強になるし、知的な意欲が湧いてくるものだと思う。

いつかは買いたい高級品のカタログを眺めるように、「いつかは読みたい古典名著」のリストとして見ていってもらいたい。

プラトン『ソクラテスの弁明』

プラトンの初期の著作。プラトンの師であったソクラテスを著作の主人公にしている。当時のギリシャにいた数々の知者と、主人公ソクラテスの「問答」を描く。

対話形式で進んでいき、ソクラテスを主人公としたプラトンのこの手の著作は「対話篇」と呼ばれている。

哲学でもありながら、劇的でもあり、文芸作品としての評価も高い。

最終的に、ソクラテスは裁判によって死刑を宣告される。本書のあと、逃亡もできたソクラテスがあえて毒杯を飲む選択をしたのは、誰もが知っているエピソードだ。

 

プラトン『饗宴』

プラトン中期に書かれたとされる書。「エロース(性愛)」について扱った対話篇。

饗宴(酒の席)に、たまたまソクラテスが呼ばれ、話題が「愛(エロース)」について映ったときに、ソクラテスが語ったことをまとめている。

ちなみに、「プラトニックラブ」という言葉はプラトンが語源になっているが、実際にプラトンが語った恋愛観はやや意味合いが違う。現在の「プラトニック」という言葉は肉体を介さないという意味を持つが、プラトン(ソクラテス)が語ったのは、具体的な肉体への愛から始まり、それがより一般的な美しさへの愛に変わっていく過程である。

現在にまで絶大な影響を与えたとされる、当時の理想的な性愛観が書かれた本。誰もが興味深く読むことができるだろう。

 

プラトン『国家』

プラトン中後期の著作で、これもソクラテスを主人公とした「対話篇」。

正義、国家、政治について論じている。有名な「イデア論」「洞窟の比喩」もこの著作である。

プラトンの中でもっとも重要な著作は、おそらく本書になるのではないだろうか。

プラトンの対話篇は、事前知識なしでも、非常に読みやすい。

逆に、それ以降に書かれた本は、プラトンを踏まえた上でより詳細に議論を進めているので、プラトンの著作を読まないで正確に理解することは難しい。

古典の中の古典とも言えるテキストで、最優先に読むべき名著だ。

 

アリストテレス『ニコマコス倫理学』

アリストテレスの「倫理学」を、彼の息子がまとめて著作にしたもの。「ニコマコス」は、アリストテレスの父の名前でもあり息子の名前でもある。

主に「正しい生き方とは何か」について論じている。

プラトンの「イデア論」に対して、批判的な検討を加えてもいる。

「徳」についての解説で、「中庸(英訳では”Golden Mean”)」を説いているのは有名だが、それも本書。

 

アリストテレス『形而上学』

『形而上学』と約されているが、原題は『自然学的なるものの後に来るもの』という意味らしい。

噛み砕いて言えば、「観測できる自然的な現象に対して、より抽象度を高くして本質を捉えよう」という感じだ。

「プラトン」が今の社会科学の基礎を作ったと評価される一方で、「アリストテレス」は今の自然科学の基礎を作ったと評価されることがある。

「理系」の考え方のベースとも言えるが、もちろん当時は哲学(文系)と科学(理系)のようなカテゴリー分けはなかった。

 

デカルト『方法序説』

1637年に公刊された、フランスの学者「ルネ・デカルト」の著書。

デカルトは、「デカルト座標」などに名前が残っているように、自然科学でも卓越した成果を残している。

もともとは、自分の膨大な科学論文をまとめたものの「序文」として書かれたものだが、それ自体が評価され、読み継がれている。

自然科学に関する論文の序文として、それらが「神の存在証明」に捧げられているのが、当時の時代的な感覚だった。

論理的な考察の延長に「神の存在」を証明するという、アクロバティックなことをやっているのだが、その前提となる「学問」や「方法」に対する考察は、後世に多大な影響を与えている。

今から考えると変なことをやっているように思えるが、非常にロジカルに、学問の方法の原点になることが書かれている。

短く、わかりやすいので、数ある古典名著の中でも群を抜いて読みやすいが、文章の精緻さに感銘を受ける。

 

スピノザ『エチカ』

1677年に、オランダの哲学者「バールーフ・デ・スピノザ」によって出版された。

この世のあらゆるものは「神」に由来して存在するという「汎神論」で有名。日本語では「神即自然」というフレーズが有名。

超越的な神が世界を作ったのではなく、「すべてのものが神の一部」という考え方をとる。これはキリスト教に反発する考え方でもあったので、当時としても非常に過激な思想だった。

スピノザは、幾何学的な秩序の延長に、人間の倫理があると位置づけようとしていた。

今の価値観では受け入れがたい話なのだが、「原理的」に書かれた書籍は、その前提が崩壊してもすべての価値を失うわけではないことがわかる。

デカルト、ライプニッツと並び、「大陸合理論」を打ち立てた哲学者として評価されている。

 

ライプニッツ『モナドロジー』

ドイツの数学、哲学者「ヴィルヘルム・ライプニッツ」が1714年に書いた。

ライプニッツは、ともすると数学の業績のほうが有名かもしれない。微積分のときに使う記号は「ライプニッツ記法」と呼ばれている。

本書『モナドロジー』の「モナド」とは、宇宙を形作る究極単位のこと。あらゆるものを分解して遡れば、最小の究極単位が出てくるはずで、それを「モナド」と名付ける。そしてその「モナド」は、神によって基礎づけられている。

現在の自然科学によって明確に否定される価値観であるが、見るべきはその結論に至った論理的な導出過程である。

ライプニッツは「合理論」を代表する哲学者とされ、同時に合理論の限界をも示している。

 

ホッブズ『リヴァイアサン』

1651年に公刊された、イングランド王国に仕える家庭教師だった「トマス・ホッブズ」が亡命中に執筆した著作。

国家についての政治哲学を、近代的な形で基礎づけた著作として、非常に高く評価されている。

自然状態において人々は争い合うことを示す「万人の万人に対する闘争」という言葉は、高校の教科書に載るくらい有名だ。

「リヴァイアサン」とは、聖書に出てくる怪物のことで、国民全員の集合体が巨大な怪物になっているというイメージ。

「万人の万人に対する闘争」を回避するために、全員で大きな怪物になるのだ。

旧約聖書などの比喩がたくさん出てくるので、現代の日本人が解説書なしに細かい部分を読み解こうとするのは難しい。

 

ロック『統治二論』

イギリスの哲学者「ジョン・ロック」によって、1680頃に執筆されたと言われている。

「王権神授説」を否定し、政治権力の起源を「社会契約」にあることを論じた著。現代人であればそれだけで本書がいかに重要だったかを理解できるだろう。アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも大きな影響を与えている。

ロックは、国家を基礎づけるための「自然状態」の考察において、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」ほど殺伐とした世界観は持っていない。むしろ自然法に従った状態の人間は、原則的には「牧歌的・平和的状態」と考えている。それでも立法や司法やそれを裏付ける権力は必要として、議会による統治の方法を説く。

 

ヒューム『人間本性論』

イギリスの哲学者「デイヴィッド・ヒューム」によって、1739年に執筆された。

『人性論』と訳されることもある。原題は『A Treatise of Human Nature(人間の本性の研究)』。

「イギリス経験論」を完成させたという評価が高いヒュームの主著。上述した「ジョン・ロック」は『統治二論』の他に、『人間悟性論』によって経験論の観念を供給したが、経験論に関して言えばヒュームの仕事の完成度が高い。

イギリス経験論という文字面からは保守的なイメージを強く感じるが、ヒュームの哲学は非常に原理的なもの。

そもそも「考えること」はどうやって設立するのかという「認識論」的な問いを始め、カントなどの哲学者に大きな影響をもたらした。

 

ルソー『社会契約論』

フランスの作家、思想家の「ジャン・ジャック・ルソー」が執筆し、1762年に公刊された。

「一般意志」という、今の民主主義のベースになる概念を提供している。

高校レベルの社会科の教科書では、ホッブズ、ロックと並んで名前が挙げられる。

「自然状態」に対してのルソーの考え方は、「人は自由意志を持って、障害が発生すれば各個人同士の意志で協力関係を求める」というものだった。

「個人」と「社会」を調停する上で、「国家」を根拠づけるものを「一般意志」とした。

今なお考えさせられるものの多い名著。読んでおきたい古典の代表格だ。

 

カント『純粋理性批判』

ドイツの哲学者「イマヌエル・カント」によって、1781年に第1版、改定が加えられた第2版が1787年に出版されている。

「大陸合理論」とカテゴライズされるデカルト、スピノザ、ライプニッツの「存在的形而上論」と、「イギリス経験論」とカテゴライズされるロック、ヒュームの「認識論的懐疑論」を継承し、両方を否定し統一した上で、人間の「真善美」に関わる普遍的な哲学を次に進めたという、絶大な評価を与えられている。

「感性、悟性、理性」「物自体」「アンチノミー」などの難解な概念が出てくる。名前は知っていても、理解できている人は少数だろう。

哲学を学ぶ上での「かなり強い中ボス」的な立ち位置なのがカント。

プラトン、アリストテレスはもちろん、上で紹介してきた哲学者たちの主張を理解した上でないと、カントをまともに読み進めることは難しい。

そして、カント以降の哲学は、カントをある程度理解してからでないとまともな読解が難しくなる。

哲学を志すすべての人にとって避けては通れない、立ちはだかる難関が「カント」だ。

前提知識なしに読んでもわけがわからないので、先に解説本などで書かれた当時の時代背景や価値観などを最低限知っておく必要がある。

 

ヘーゲル『精神現象学』

ドイツの哲学者「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル」によって、1807年に出版された著作。

「純粋な哲学はヘーゲルで完成した」と評されることも多い。

カントを踏まえて書かれ、いまだにいくつもの読解や解説が飛び交うほど難解かつ、ヨーロッパの哲学を基礎づけた著作。

「弁証法」によって「精神」が「理性」へと合一されていく様が描かれ、日本語では「止揚」や「揚棄」と訳される、「アウフヘーベン」というドイツ語の言葉が有名。

最も重要と言っても過言ではない一冊にして、哲学の難解さを象徴するような古典。

 

マルクス『資本論』

ドイツの思想家であり革命家「カール・マルクス」によって、第1部が1867年に発売されている。

現在もなお、実際の社会制度に多大な影響をもたらしている名著。近代以降において「最も影響力のあるテキスト」と評価してもあまり異論は出ないだろう。

ヘーゲルが「哲学」という体系を完成させたのだとしたら、マルクスはそれを批判的に受け継ぎながら、現実の社会問題に応用した。

「哲学」として読まれるのはもちろんのこと、「経済学」「社会学」「政治学」などにおいても、絶対に避けては通れない一冊になっている。

文系の学問を修める者で、マルクスを読んでいないのはまずありえないと言えるほどの古典。

現実の社会革命で掲げられていた経緯から、アジテートするような部分に着目されがちだが、非常に論理的に書かれていることが著書を読めばわかる。

現在に至ってもなお様々な読解が生み出されている。ハードルは高いが、ヘーゲルまでの哲学の流れを押さえた上で読み進めたい。

 

ニーチェ『善悪の彼岸』

ドイツの哲学者「フリードリヒ・ニーチェ」によって、1886年に初版が刊行された。

日本においてニーチェは、一般人からも人気が高い。

ニーチェ自身は哲学の古典について特に造形が深い哲学者が、その著書は異端者的。カントやヘーゲルを踏まえなくても読めないこともなく、内容も非常に刺激に富んだものなので、手の出しやすさはたしかにあると思う。

キリスト教における「道徳」を厳しく批判し、「権力(力への意志)」を肯定し、「超人」や「永劫回帰」という思想を打ち出した。

神、道徳、権力、真理といったものに対する斬新な考え方を、原理的な仕方で打ち出したニーチェの知力には、誰もが圧倒されるだろう。

ニーチェの文章には、散文的な「アフォリズム」が散りばめられていて、読む者に高揚感をもたらしてくれる。ただ、古典に向き合って意味のある読解をするためには、アフォリズムの力強さや美しさではなく、どのような論理展開がなされているかに着目すべきだろう。

 

フッサール『イデーン』

オーストリアの哲学者で、「現象学」の創始者として知られるフッサールが、1913年に出版。

もともとフッサールは数学基礎論の研究者だったが、哲学からあらゆる学問への基礎づけ考えるために、「現象学」を提唱した。

現象学の発明は、のちの「ハイデガー」に大きな影響を与えるなど、20世紀の哲学を大きく規定した。

日本でも『イデーン』の呼び名が定着しているが、『純粋現象学および現象学的哲学のための諸考案』という意味。

有名な「ノエシス・ノエマ」も本書に出てくる。

「現象学」が、20世紀から現在に至るまで重要視されていることは疑えないが、あまりに難解なため、いまだに評価が定まらず、様々な議論がある。

 

ハイデガー『存在と時間』

ドイツの哲学者「マルティン・ハイデガー」の主著であり、1927年に出版された。

実は序論に示された目次の3分の1ほどしか書かれておらず、未完に終わっている書はのだが、それでも「哲学における20世紀最大の著作」と評価されている、超重要なテキスト。

古典哲学から、ドイツ観念論、実存主義、そして現象学を経て、「存在への問い」を打ち立てる存在論哲学を展開する。

アリストテレスが『形而上学』で論じた「何かが存在するとはどういうことか」問題を、最新の哲学の方法で再び問い直す。

読書好き、哲学好きであれば、人生で一度は挑戦してみたいと考える名著

 

ドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』

フランスの哲学者「ジル・ドゥルーズ」と、フランスの精神分析家「フェリックス・ガタリ」の共著で、1972年に発表された。

体系的に書かれているわけでも、原理的に書かれているわけでもない。「まったく評価できない」と断じる人も少なくはない。

「ポストモダン思想」と言われるものの代表的なテクスト。日本ではかつて「ニューアカデミズム」という流行があり、浅田彰の『構造と力』などで紹介された。

美学やアートなどの分野にも影響を与えている。

著者の一人であるドゥルーズは、数学の微分概念を哲学に転用して「差異の哲学」を構築し、フランスの現代哲学のスターだった。1995年に、自宅の窓から身を投げて生涯の幕を閉じた。

 

フーコー『監獄の誕生』

フランスの思想家「ミシェル・フーコー」によって、1975年に発売された。

フーコーもまた、20世紀の現代思想を代表する思想家で、「構造主義」と分類されることもある。とはいえフーコー自身は「構造主義」を批判していた。

有名な用語に「エピステーメー(各時代におけるものの捉え方)」などがあるが、「考古学」的な思考法による分析が評価されている。

『監獄の誕生』では、「監獄」に着目することによって、現代社会における権力の本質に迫る。

「権力」とは、物理的で生々しいものが想像されがちだが、現代における権力は、「人々の内面から規律が生まれるような仕掛け」によって、規律を生み出していく。

まだ出されてから50年も経っておらず、比較的新しく感じなくもないが、もはや「古典」と呼ばれる地位は揺るぎないだろう。本物の知力に圧倒される著作である。

 

 

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