「哲学」という言葉に惹かれる人は多いと思う。
「哲学」とは、辞書的な定義では
世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。
あるいは、
自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
のことを言う。(「三省堂 大辞林」を参照)
「哲学」という言葉には、「哲学という学問」と「経験による人生観」の両方の意味があるようだ。
本記事では、引用したうち前者の、「世界や人間についての知恵・原理を探究する学問」についてのみ扱う。
哲学とは何か?
哲学とは、非常に厳密なものである。
哲学に興味を持つ人にありがちな失敗は、「自分で考えて、思いついたことを過大評価してしまう」ことだ。
なぜそれがいけないかと言うと、「あなたが考えていることは、すでに他の誰かが考えているから」だ。
これまでの人類が、膨大な時間をかけて「哲学」を積み上げてきた。まずはその蓄積を「学ぶ」必要があるのだ。
例えば、何も学ばずに自分で「微分積分」を思いついた人がいるとしよう。その人は間違いなく天才だ。だが、すでに多くの人間が当然のように微分積分を学ぶ世界で、その発想に意義はない。
これは、「車輪の再発明」と言われたりする。
すでにあるものを学ばずに、自分で発明しようとしても、不毛に終わるだけだ。
数学を例に出すと、当然の話に思えるかもしれない。しかし「哲学」の話になると、なぜか「車輪の再発明」を堂々とやりたがる人は多い。
「哲学」も、「数学」などと同じように、非常に厳密な学問だ。
そして、しっかりとした原理と蓄積がある。
だから、「哲学」とは、「まずは学ぶべきもの」である。これを最初にしっかりと認識しておこう。
哲学はどういうことを考えるのか?
哲学の主題について、「真・善・美」という言葉がある。
- 「真のこととは何か?」
- 「善いとは何か?」
- 「美しいとは何か?」
という原理的なものを考えるのが哲学なのだ。
さらに哲学が進み、
- 「そもそも、こうやって考えているとはどういうことか?」
- 「なにかを認識するとはどういうことか?」
- 「存在するとはどういうことか?」
と発展していった経緯がある。
ただこれは何となくの説明であって、もっとありとあらゆることを哲学は考えている。
哲学は、学んでみれば、感動するほど原理的な学問なので、興味のある人はぜひ入門してほしい。
なぜ哲学が難しいのか?
哲学と言えば、「難解」というイメージがつきまとう。
実際にそのイメージは間違っているとは言えないが、なぜそれほど哲学は「難解」になるのだろう?
同じ人間が、誰かに何かを伝えようとして書いた文章が、なぜこれほど難しいのか?
哲学を読んで「まったくわからない」となったとき、そのほとんどは「必要な知識を持っていない」場合だ。
基本的に哲学書は、過去の哲学に言及する形で書かれている。だから、「カント」や「ヘーゲル」や「ハイデガー」など、「哲学の名著」と呼ばれるものをいきなり読んで、理解できるほうがむしろおかしい。
なぜなら、それらの哲学者の本は、それ以前の哲学を踏まえた上で書かれているからだ。
例えば、「プラトン」「アリストテレス」「デカルト」「ヒューム」などの最低限の知識なしに「カント」に挑戦しようとするのは、因数分解もわからないのに高度な数学に手をつけようとするようなものだ。
適切な順序を踏まなければ、絶対にわからないものなのである。
哲学書は、なまじ「言葉」で書かれているだけに、意味不明でも読み進めることはできる。そのため、誤読をこじらせて、わけのわからない独自の解釈をしてしまうというのもよくあることだ。
もちろん概念自体が難解もあるが、それ以前に、「古いものから順に理解していかなければならない」のが哲学なのだ。
前提知識が必要なものを、それを持たずに読めば、「難しい」と感じるのは当然のことだ。
適切な情報を得た上で取り組んでいけば、少なくとも「無駄な難解さ」に苦しむ必要はなくなる。
日本人が日本語で哲学を勉強する方法
日本語で書かれた哲学書を読んで勉強することを前提に、具体的なステップを教えよう。(あくまで一例であり、これが絶対ではない。特に従う必要はないので、参考までに読んでみてほしい。)』
「そもそも哲学とは何なのか?」という状態の初心者は、哲学全般の入門書を読むことをおすすめする。
初心者向けのおすすめ入門書の記事を別に書いているので、以下を参考にしてほしい。
ここで紹介されているものを、気に入ったものでいいから、2、3冊読んでおくことをおすすめする。「もっと哲学を学びたい!」と思えたのであれば、次のステップだ。
「入門書」に感化されても、いきなり「古典」を読み始めるのは得策とは言えない。まずは「哲学の流れ」を理解することが必要だ。
それぞれの哲学者が、どのような流れに位置づけられるのかは、「哲学史」本で学習するのが良い。
哲学について興味を持ち、哲学についての流れを押さえたら、「興味のある古典」に手を出してみよう。
「哲学入門書」や「哲学史本」で、文献に対するある程度の知識はついているはずなので、ここまで来れば、自分で読んでみたい哲学者の一人や二人はいるはずだ。
「哲学の古典」として、どのようなものが有名なのかは、以下の記事に書いている。
「哲学は順番に読まなければならない」と言ったが、名著のリストを頭から読んでいくというのは現実的でないだろう。
そんなときに必要なのが、必要な時代背景を説明してくれる「解説書」だ。
先人たちの素晴らしい仕事によって、今の日本には、日本語で読める有用な解説書がたくさんある。
解説書の多くは、「その哲学者が生きた時代の常識」「その哲学が書かれた時代背景」「影響を与えた過去の哲学の概要」といった古典を読む上で必要な道具をしっかり提供してくれる。
まずは「解説書」を一冊読んでから、古典に当たったほうが効率的だ。
もちろん、解説書の「解釈」を鵜呑みにする必要はない。自分で読んでみて、解説などで書かれているのと違う考え方を持てば、それこそが古典に取り組む意義なのである。というより、そこまできっちり事前知識を蓄えて初めて、「古典」に挑戦することができる。
ここで紹介してきた「学習の仕方」について、意義がある人もいるかもしれない。「まずは原点に当たれ!」という意見の人が少なくないことは知っている。それならそれで構わないし、基本的には自分のやりたいようにやればいいと思う。
ただ、確実に言えるのは、「たくさんインプットしなければならない」ということだ。
「哲学」は、センスと直感のイメージも強いが、少なくとも今から哲学をちゃんとやりたいのであれば、とにかくたくさん学ぶ必要がある。
なお、哲学をやる上で、「哲学辞典」があると便利。
岩波のものが鉄板だが、値段の高さがネック。
別の辞書で代用することも可能。
初心者であれば、図解の多い『哲学用語図鑑』がいいかも知れない。これが物足りなくなってきたら辞典を買おう。
哲学を学ぶことのメリット
哲学を学ぶことのメリットは、「哲学を学ぶことにはメリットがあるかどうか?」という問いよりも細かい粒度で思考することができるようになることだ。
なお、哲学は諸学の根源にあるものなので、「それ自体がロマン」と言える。
「考えること」自体を鍛え上げるのが哲学。
他の分野を専門としている場合でも、哲学の素養は学者にとって必須のものだ。
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