ミシェル・ウエルベック『服従』ヨーロッパ的知性の死を描いた衝撃的な問題作【感想・レビュー】

「ミシェル・ウエルベック」は、「文学の国」というイメージが強いフランスの現代作家の中でも、もっとも世界的な知名度と人気(?)を獲得している作家と言っても過言ではない。

2015年に出版された『服従』は、ウエルベックの中でも最も話題になった作品だ。

なんと、「イスラム教徒がフランスの大統領になる」という内容の本書を発売した同じ日に、「シャルリー・エブド襲撃事件」というイスラム教によるテロ事件が起こった。そのため、(意図しない宣伝をした形となり、)本書はよりセンセーショナルに受け入れられ、フランスのみならず世界中でベストセラーとなった。

フランスはイスラム教に「服従」する

『服従』は、イスラム教徒がフランスの大統領になった2022年の近未来を描く小説だ。

ウエルベックは、実在の人物や商品などを小説内に積極的に取り入れる。

「マリーヌ・ル・ペン」という、実在する国民戦線(フランスの右翼政党)の政治家が作中に登場する。彼女は、本書発売後の2017年の選挙でも支持を伸ばし、「マクロン大統領」には敗れたのだが、フランスにおいて過激な右翼政党が支持を集めたことが話題になった。

ウエルベックが描く近未来では、「モアメド・ベン・アッベス」というイスラム同胞党の代表と、実在する国民戦線代表の「マリーヌ・ル・ペン」が、総裁選で一騎打ちをしている。

「イスラム」か「右翼」のどっちかを選ばなければならないという、リベラル的な知識人からすると耐え難い状況が舞台。ただ、そのような状況に対して、何らかの反発や運動が起こるのではなく、「諦念」が漂っている。

選挙はイスラムが勝つのだが、男女共学の廃止、公教育のイスラム化、一夫多妻制など、近代的な価値観に逆行するような政策の数々が実施される。

主人公は、ユイスマンスの研究で博士号を取得した大学教授で、無神論者の40代男性。

大学教授を続けるには、イスラム教に改宗する必要があるのだが……という話。

 

暴力によって変革が訪れるわけではない

ショッキングな内容を扱っているが、知的強度は高く、「イスラムに支配されてフランスさん涙目www」みたいなものを求めている人には、合わない小説だと思う。

暴力によって何かが変わるのではなく、あくまで緩やかに、様々な利害関係が調整される形で、フランスがイスラムに飲み込まれていく。

「モアメド・ベン・アッベス」という架空の人物は、穏健派のイスラム教徒で、フランスの国立行政大学院(ENA)を出たエリートでもある。

西洋的な自由になるべく配慮しながら、イスラム教によって、様々な社会の「改善」が行なわれる。女性が家庭に入ることで、失業率が下がり、治安が良くなり、オイルマネーの流入によって財政も改善する。

数々の合理的なメリットに浸され、「納得」と「諦め」によって、かつてはフランスで栄華を極めた近代的な価値観が「服従」していくのだ。

自分は、フランスの政治や、ヨーロッパにおけるイスラム教の立ち位置など、その関連のことについてまったく知識も尺度も持ち合わせていないので、ウエルベックが描き出している状況が、どれほどのリアリティのあるものなのかは、よく判断できない。

実在の人物の固有名詞もたくさん出てくるが、その多くも、正直よくわからなかった。

ただ、「わからない」ながらも、夢中で読み進めてしまうような魅力のある小説で、話題性だけではなく、文学的な魅力がある作家なのは疑いの余地がない。

 

過激でスキャンダラスな設定だが、描写は内省的

ある種の文化的な侵略に対して、「過激に抵抗する」という方法もあるはずだ。

しかしウエルベックは、ヨーロッパ的知性の死を受け入れ、大きな流れの中を、「諦念」とともに生きる人物を描く。

キャッチーな設定にしたいというあざとさはあるかもしれないが、そのようなテーマを、自分の感性でうまく処理しているように思う。

内省的な描写が多く、そこに惹き込まれてしまう。

冒頭では、ユイスマンスとともに青春を送った研究者が、「オワコンになった文学」を懐古するのだが、その筆致には文学への愛が溢れている。

ぼくたちの目の前で終焉を告げている西欧の主要な芸術であった文学は、それでも、その内容を定義するのがひどく難しいわけではない。文学と同じく、音楽も、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生み出すものと定義することができる。文学と同じく、絵画も、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出す。しかし、ただ文学だけが、他の人間の魂と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、その矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪を催したすべてのものと共に。文学だけが、死者の魂ともっとも完全な、直接的でかつ深淵なコンタクトを許してくれる。

「最近の文学はつまらない」というのは、日本のみならず世界的な共通了解だが、ウエルベックの書く文章は面白い。

ウエルベックは、19世紀の作家ユイスマンスを研究者する主人公を通して、時間を超えた魂の触れ合いこそが文学の価値なのだと述べる。

わりとスキャンダラスな内容を期待していたのだが、冒頭からこういう文章を持ってこられて、なぜか背筋を正すような気持ちにさせられた。

 

現実的な問題に対する関心とニヒリズム

ウエルベックは、『素粒子』や『地図と領土』などの数多くの名作を出しているが、哲学や文学のみならず、科学、経済、政治、時事ネタなど、膨大な知識を持っている。

また、教養主義的な感じがあまりせず、あくまで現実の問題を見据えようとしているように思う。

ニヒリズムがベースにありながらも、現実的な問題へ積極的に手を伸ばすことをやめないのがウエルベックだ。

「ここまで悲観的な人間が、ここまでの知的好奇心を発揮できるものなのか?」と思ってしまう。そして、そのような歪みがあるからこそ、文章は美しい。

かつて15年も勤めていた大学がイスラム教化したあと、主人公が再び大学へ足を踏み入れるシーンを引用したい。

ぼくは十五分ほど金属製のアーチでできた回廊をぶらついた。自分が懐かしさを抱いていることに自分自身でも驚いていた。もちろんこの空間は美しくはなく、この醜い建物はモダニズムの最悪の時期に建てられたということは意識していたが、ノスタルジーは美的な感情とは何の関係も持たず、幸福な思い出と結びつかなくても、ぼくたちは自分が「生きた」その場所を懐かしく感じるのだ、そこで幸せだったかどうかは関係ない、過去は常に美しく、未来も同様なのだ。ただ現在だけが人を傷つけ、過去と未来、平和に満ちた幸福の無限の二つの時間に挟まれて、苦悩の腫れ物のように常に自分につきまとい、ぼくたちはそれと共に歩くのだった。

「なんでこんなに悲観的なのよ」と言いたくなるが、「そういう文章が良い」のがウエルベックだ。

スキャンダラスな話題抜きにしても、読んで損はない名作だと思う。

 

ウエルベック『服従』の感想&レビューは以上。

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