ミシェル・ウエルベックの最新作『セロトニン』の感想&レビュー!彼の最高傑作かもしれない

最近の小説は、漫画やゲームに比べて面白くないと感じることが多いが、久々に胸を打つ作品に出会えた。

フランス文学界の問題児にして、現代文学のスーパースター「ミシェル・ウエルベック」の、4年ぶりの小説だ。

原著が2019年発売だが、日本語版が2019年9月に出るというスピード翻訳。注目度の大きさと人気の高さがわかる。(ちょっと翻訳の日本語が雑なようにも思えたが)

自分は他のウエルベックの小説をすべて読んできているが、中でも最高傑作なんじゃないかと思う(読んだばかりだからそう感じるのかもしれないけれど)

「セロトニン」とは

「セロトニン」とは、「自己承認と他者承認に結びつくホルモン」と作中で説明されている。

主人公は、精神科医にかかり、「キャプトリクス」というセロトニンの分泌を増加させる新世代の抗鬱剤を服用することになる。副作用として性欲がなくなり、不能になる。

主人公は40代男性。フランスの上流階級に属し、金にも困っていないが、救いのない思いに捕らわれていて、抗鬱剤を飲み続けることになる。

本作には、主人公のガールフレンドとして、日本人女性の「ユズ」が登場する。そして、日本文化や、日本人女性をディスるような内容がけっこう多かった。(もっともウエルベックは、日本に限らず、様々な国の文化をディスっている。その矛先はもちろん、自国フランスや、自分自身にも鋭く向いている)

ウエルベックの日本についての理解がなかなかに面白く、少し引用してみる。

いずれにしてもぼくは日本を主題に長時間話すことができた。何度も同じ経験をしていたからだ、ぼくは巧みにこう口に出すのだ。「日本の社会は人が考えるよりもっと伝統的な社会だ」そのあと、ぼくは二時間でも反論されずに話を続けることだってできた、日本についても日本人についても誰も何も理解していないのだから。

主人公は、「ユズ」と付き合っているから、日本について長時間話すことができるのだ。そして、日本については誰も何も理解していないから、適当に話しても反論されないのだとか。

「ユズ」は、主人公より20歳くらい年下の(金目的の)ガールフレンドで、これまた酷い女なのだが、あることをキッカケに主人公は、「ユズ」との連絡を一切断って、逃げるように旅に出る。

そして、過去に経験を持った女性を懐古しながら、実際に彼女たちに会いに行ったり、かつての親友の元におもむいたりする。

まるで死ぬ前の準備をするように。

 

ウエルベックと言えば性描写

ウエルベックの小説は、とにかく「性愛」に関する話が多い。

日本では、村上春樹が、「やれやれ。僕は射精した(笑)」みたいな感じでネタにされているが、ウエルベックも、「君セックスの話ばっかりやん(笑)」みたいな扱いになっている。

その点に関して、今作もまったく期待を裏切らない。

ウエルベックは、自己言及的なことをよくする作家でもあるが、それっぽいところを本文から引用してみよう。

皆はぼくがセックスに重きを置きすぎていると非難するかもしれないが、ぼくはそうは思わない。もちろん、人生の通常の営みの中で他の喜びが次第にそれなりの位置を占めることを否定はしないが、セックスは、特に強度のあるセックスは、個人的かつ直接に自らの身体器官を危機に晒す(エンゲージする)唯一の時間であり、愛の融合が生じるためにはセックスを通ることが欠かせず、セックス抜きには何も起こらない、残りのあらゆることは、通常はそこからゆっくり生じるのだ。

なかなかに力強い宣言だ。ここまで言い切られると、もはや敬意を抱くしかない。

また、「トーマス・マン」や「プルースト」に対して言及しているシーンもあるのだが、引用してみよう。

マルセル・プルーストは「見出された時」において、世俗的な関係のみならず友情も本質的なものは何ももたらさず、結局のところ単なる時間の無駄、世間が思うのとは反対に、自分に必要なのは世間が思うのとは反対に知的な会話ではなく、「花咲く乙女との軽やかな愛」なのだとびっくりするほど率直に結論づけている。ぼくは、論証のこの時点で、「花咲く乙女たち」を「濡れた若いヴァギナ」と言い換えることを強く主張したい。

プルーストが「びっくりするほど率直に結論づけた」ものを、ウエルベックはさらに強烈な形で言い換えている。

一部だけ抜き出すとギャグみたいだが、真面目にこれをやっているので、凄みがある。

(あと、自分はフランス語の原著を読めるわけではないし、翻訳の仕事にケチをつけたいわけでもないのだが、日本語文だけを見ても推敲が足りていないんじゃないかと思うところがある。素晴らしい作品なのだから、スピード重視で雑な仕事をせず、しっかりとやってほしかった。ただ、ウエルベックの文章はクソ翻訳だからといって魅力を失ったりはしない)

 

具体的な描写がとても良い

ウエルベックは、「どうやったらここまで広範な知識と興味関心を持つことができるのだろう?」というくらい、多種多様なシーンをとても繊細に描いていて、実際にかなり綿密に取材しているらしい。

例えば、主人公が親友から射撃を教わるシーン。

「禅かぶれみたいな奴らは、本質的なのは標的と一体になることだとか言うだろうけど、ぼくはそういったたわごとは信じていない、それに日本人はスポーツ射撃はまったくダメで、一度も国際的な競技で勝ったことなどないんだ。反対に、選ばれた射手のすることは確かにヨガに似ている。自分自身の呼吸と一体になるんだ。どんどん呼吸を遅くする、できる限り深くゆっくりと呼吸するようにする。そして、準備ができたら、標的に標準を合わせるんだ」
ぼくは一生懸命それを実践してみた。「どう、準備はできたかい?」ぼくは頷いた。「そうしたら知っておかなければならないことは、絶対不動の状態を躍起になって探しても無駄だということ、それは不可能だから。息をしている限りどちらにしても動いてしまうからね。そうではなくて、とてもゆっくりした動き、自分の呼吸によって、標的の中心のあちらとこちらを行ったり来たりする規則的な動きに至ること。

毒舌が含まれながらも、キャッチーな文章運びと、実直で秀逸な描写は、流石としか言いようがない。

そして主人公は、射撃を練習し、上達し、やがて生き物を撃ってみようと試みる。

この陰気なスズメはおそらく食用には堪えないだろうから、ぼく自身はこの鳥に興味はなかったが。ぼくはただ、自分が男、領主、君主で、世界は正しい神によってぼくの都合の良いようにできているのだと思い起こせばいいだけだった。
心の葛藤は何分か続いた、少なくとも三分間、おそらくは五分か十分ほど、それから手が震え始め、ぼくには引き金を引けないと分かった、ぼくは救いようのないフヌケのカマ野郎で、馬齢を重ねているだけなのだ。「殺す勇気のない者には生きる勇気もない」このフレーズが頭の中をぐるぐる回り、円く苦悩の溝を掘っていた。ぼくはバンガローに戻ると十数本の空のボトルを取り出し、行き当たりばったりに斜面に置き、二分足らずで皆粉々にした。

狩りを通して、中世的な感覚を呼び起こそうとしてみるのだが、うまく行かず、逆に自信を失う結果になる。

そして、空のボトルを撃って発散する。

何気ない、ひとつひとつのシーンに、惹き付けられるものがある。

 

西欧社会の矛盾と悲しみ

ウエルベックは、大学時代に学んでいたからか、農業に関して特に造詣が深いようだ。

主人公も、農業大学出身のエリートで、ある種の使命感を持ちながらも、自由貿易の前に敗北してしまう。

以下の引用は、エルブーフの工業地帯にある、大規模採卵養鶏場のシーン。「フランスでも最低の場所の一つ」の描写。

ぼくはその養鶏場を熟知していた、巨大な養鶏場で、三十万羽以上の鶏がいて、卵はカナダからサウジアラビアにまで輸出されるが特に不潔なことで悪評高く、フランスでも最低の場所の一つで、ここを見学した者は誰でもネガティブな見解を下していた。高所から高光度のハロゲンランプで証明を当てた倉庫のような場所で無数の鶏が生き残ろうともがき、詰め込まれている鶏同士が重なり、柵はなく「直飼い」で、羽がもげ、肉がこそげ落ち、肌は真っ赤になり、ワクモに血を吸われ、死んだ鶏の身体が朽ちていく中で暮らす、最長でも一年という短い一生を、一瞬ごとに怯えて鳴いているのだ。もちろんもっとましな養鶏場でも状況は変わらず、最初に我々を驚かせるのは絶え間のない鳴き声、鶏が向けてくる絶え間ないパニックの目つきであり、理解しがたいという視線だ、鶏たちは哀れみを求めない、それは不可能だろう、でも鶏にはわからないのだ、どうしてそんな状況で生きなければならないのかが。卵を産まないオスのひよこが生きながら手づかみで粉砕機に投げ込まれるに至っては言語道断だ。ぼくはそれらを皆知っていた、養鶏場はいくつも見学したし、エルブーフのはおそらく最悪だったが、しかしぼくだって他の皆のように嫌悪すべき行為を行いうる、その事実によりこの工場を忘れることができていたのだ。

主人公は、西欧の社会に絶望感を抱く。

自由化が進む一方で、規制が厳しくなり、どこもかしこも禁煙が進んでいく中で、あえてごみの分別をせず、タバコを吸い続ける。

人生においてはいつも、アパートの管理費を出費から引いて計算(幸福の引き算)し始める時が来る。クレールの人生にも恋愛沙汰があり、激動の年があったが、真の幸福には達しなかったと思っていた―――とはいえ、幸福にたどり着ける人なんているのだろうか。西欧では誰一人幸せにならないだろうと彼女は考えていた、もう無理なのだ、わたしたちは幸福をかつて存在した夢とみなさなければならない、単に歴史的な条件がもう揃っていないのだ。

主人公は、別れてから長い時間が経ってもなお、「クレール」という女性に愛情を寄せているが、そこにも常に絶望が漂っている。

ウエルベックが投げかける「西欧では誰一人幸せにならず、わたしたちは幸福をかつて存在した夢とみなさなければならない」を、どう捉えるかだが、ここまで徹底的に虚無的で悲観的であることは、間違いなく才能だと思う。

人から何かを与えられたことはほどんどなかったし、自分自身を与える気もほとんどない、自分の中に善意が芽生えたことはなかった、その心理プロセスは起こらなかった、反対にぼくは人類全体に対してどんどん無関心になってきていて、単純で純粋な敵意さえも持てなかったのだ。ぼくはある種の人間に近づこうと試みた、とにかくぼくは通常の、規範に沿った平均的な試みをしたはずだが、様々な理由により何も具体的な形をとることはなく、何一つとして、生きるための場所や環境があると思わせてくれなかったし、生きる理由があると考えることを許してくれなかったのだ。

日本では「太宰治」なんかが似たような位置づけとして受け入れられているように思うが、ウエルベックの小説は、日本人の作家にはないスケールの大きさがあるように思う。

 

個人的には、めちゃくちゃ良い小説だと思ったし、ここまで優れた現代文学に出会えるとは望外の喜びだった。

純文学が好きな人、最近の現代文学に失望している人で、まだウエルベックを未読の人は、読んでみて損はないと思う。

 

本書の「翻訳者あとがき」で知ったのだけど、ウエルベックは、2018年に中国出身の若い女性と結婚しているらしい。

最新作のすぐあとで気が早いかもしれないが、若いアジア人女性との結婚が彼の作品に何をもたらすのか、次回作にも期待したい。

 

ミシェル・ウエルベック『セロトニン』の感想&レビューは以上。

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