ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』を要約しながら解説&レビュー

全世界で1000万部を超えた、超大ベストセラーが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』

「売れてる本」というだけでなく、実際にめちゃくちゃ面白いので、おすすめだ。

本書『サピエンス全史』の「要約」についてだが、この本自体が「人類の歴史の要約」といった内容なので、まともに要約するのは難しい。

完璧な「要約」とは言えないだろうが、自分なりに重要だと思ったところを、ピックアップ&要約しながら解説していきたい。

もともと人類は、生物学的ニッチだった

本書は、知的好奇心のある人なら頭から終わりまで面白いのだけど、「最初」のほうの話が特に面白いし、オリジナリティがあると思う。

人類の特性を考える上で、非常に面白いのは、人類は長い間「生物学的ニッチ」だったということ。

初期の石器のごく一般的な用途は、骨を割って中の骨髄を啜るためだった説があるらしい。

固い骨の中にも骨髄という栄養があるのだが、他の動物は骨を割れない。ライオンが食べ終わり、ハイエナやジャッカルが残りを漁ったあとの骨を、こそこそ砕いて食べていた負け組が、我々の祖先。そんな人間たちのことを、ハラリは「正常不安定な弱小国の独裁者」に喩える。

私たちはつい最近までサバンナの負け組の一員だったため、自分の位置についての恐れと不安でいっぱいで、そのためなおさら残忍で危険な存在となっている。多数の死傷者を出す戦争から生態系の大惨事に至るまで、歴史上の多くの災難は、このあまりに性急な飛躍の産物なのだ。

人間はそのあと、急激に成り上がっていったのだが、サバンナの弱者だった頃の性質を引き継いでいて、それゆえに残忍で危険なのだ。

 

ホモ・サピエンスがそれ以外の「サピエンス」を全滅させた

「ホモ・サピエンス(我々)」の他にも、様々なサピエンス種がいたのだが、それらは今の唯一の人類「ホモ・サピエンス」に、絶滅させられた。

単体のスペックで見れば、ホモ・サピエンスよりも優秀な「サピエンス」は他にいた。ネアンデルタール人は、強靭で、大きな脳を持ち、寒さにも強かった。

だが、結果的には、「ホモ・サピエンス」は他のサピエンスを滅ぼすほど強かった。

これが本書の視点で「面白い」と注目されるところだが、ホモ・サピエンスには「虚構を語り、信じる力」があったので、他のサピエンスより大きな集団になることができた。

単体では他のサピエンスが強くても、ホモ・サピエンスは大規模な集団になることができたので、他を滅ぼすことができた。

「噂話をする能力」「虚構を語る能力」などが、大きな人数で協力し合うことを可能にし、それこそが「ホモ・サピエンス(我々)」の力なのだ。その特徴は、今も重要な意味を持っている。

我々は、部族の精霊、国民、有限責任会社、人権など、現実に存在しないものを語ることができる。それこそが、現在に続く「ホモ・サピエンス」の発展の核になっている。

 

圧倒的な勢いで生態系を変え、他の生物を滅ぼしていった

人類は、道具を使うことによって、環境に超高速で適応する。

そのため、極暖な地域でも、極寒な地域でも、生き残ることができる。

そんな人類の適応のスピードに、他の生物の進化はついていけない。

通常は、生態系の変化はゆっくり進んでいくものなのに、人間が超スピードで踏み荒らした結果、多くの生物が人類によって滅ぼされてきた。

多くの学者は、そのような事実を認めたくなく、長らく他の生物の絶滅を「気候変動」などの罪にしてきたが、ハラリによると、「人間の罪はかなり大きい」という結論にならざるを得ないみたいだ。

 

人類は小麦を栽培化したのではなく、小麦が人類を家畜化した

「人間は小麦に支配されている」という話。ハラルがめちゃくちゃ楽しそうに書いているシーンで、面白いので、少し長くなるが引用してみたい。

一万年前、小麦はただの野生の草にすぎず、中東の狭い範囲に映える、多くの植物の一つだった。ところがほんの数千年のうちに、突然小麦は世界中で生育するまでになった。生存と繁殖という、進化の基本的基準に照らすと、小麦は植物のうちでも地球の歴史上で指折りの成功を収めた。(中略)
小麦は自らに有利な形でホモ・サピエンスを操ることによって、それを成し遂げた。この霊長類は、およそ一万年前までは狩猟採集によってかなり快適な暮らしを送ってきたが、やがて小麦の栽培にしだいに多くの労力を注ぎ込み始めた。二千年ほどのうちに、人類は多くの地域で、朝から晩までほとんど小麦の世話ばかりを焼いて過ごすようになっていた。楽なことではなかった。小麦は非常に手がかかった。岩や石を嫌うので、サピエンスは汗水垂らして畑からそれらを取り除いた。小麦は場所や水や養分を他の植物と分かち合うのを嫌ったので、人々は焼けつく日差しの下、来る日も来る日も延々と草取りに勤しんだ。小麦はよく病気になったので、サピエンスは虫や疫病が発生しないか、いつも油断ができなかった。小麦は、ウサギやイナゴの群れなど、それを好んで餌にする他の生き物に対して無防備だったので、農耕民はたえず目を光らせ、守ってやらなければならなかった。小麦は多くの水を必要としたので、人類は泉や小川から苦労して運び、与えてやった。小麦は養分を貪欲に求めたので、サピエンスは動物の糞便まで集めて、小麦の育つ地面を肥やしてやることを強いられた。
ホモ・サピエンスの身体は、そのような作業のために進化してはいなかった。石を取り除いたり水桶を運んだりするのではなく、リンゴの木に登ったり、ガゼルを追いかけたりするように適応していたのだ。人類の脊椎や膝、首、土踏まずにそのつけが回された。古代の骨格を調べると、農耕への移行のせいで、椎間板ヘルニアや関節炎、ヘルニアといった、じつに多くの疾患がもたらされたことがわかる。そのうえ、新しい農業労働にはあまりにも時間がかかるので、人々は小麦畑のそばに定住せざるをえなくなった。そのせいで、彼らの生活様式が完全に変わった。このように、私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ。栽培化や家畜化を表す「domesticate」という英語は、ラテン語で「家」を意味する「domus」という単語に由来する。では、家に住んでいるのは誰か? 小麦ではない。サピエンスにほかならないではないか。

ニチャァって笑いながら書いてそう。

「農業革命」は史上最大の詐欺だった。小麦は、カロリー効率は良いものの、中毒性があって、グルテンフリーコーナーを最近よく見かけるが、あまり身体に良いものではない。それ以前の、タンパク質や食物繊維が豊富な食事のほうが、ずっと健康的だった。

小麦を利用しているように見えて、むしろ小麦に家畜化されていたのは人間だ。

ただ、「農耕」という「未来予測」が必要なあり方が次の人類の発展を生んだということも書いてるから、ようは、ちょっとユーモアのつもりでふざけて書いているのだと思った。

メガネ坊主の固いイメージに反して、ハラリはけっこうおちゃめなのだ。

 

種の繁栄と個人の幸福は別

「進化の通貨は飢えでも痛みでもなく、DNAの二重螺旋の複製だ」とハラリは述べる。

ハラリは、種の繁栄において、「苦しいけど報われた」みたいな考え方を否定しているのだ。

例えば、家畜化された豚とか牛は、種の繁栄という点では、人間のおかげで大成功したが、だからと言って、残酷な食肉産業で苦しみながら生きる動物たちが報われたとするわけにはいかない。

また、「歴史は個々の幸福には無頓着」とも述べている。

ゲーム理論だろうが、ポストモダニズムだろうが、ミーム学だろうが、何と呼ぼうと、歴史のダイナミクスは人類の境遇を向上させることに向けられてはいない。歴史の中で輝かしい成功を収めた文化がどれもホモ・サピエンスにとって最善のものだったと考える根拠はない。進化と同じで、歴史は個々の生き物の幸福には無頓着だ。

「種」や「共同体」の幸福、あるいは「システム」の成功と、「個」の幸福は別のものであるという、現代の価値観からすれば当然と思えるようなことかもしれないが、そこらへんを力強い言葉でキッチリと述べている。

 

人類には矛盾したものを信じる力がある

『サピエンス全史』は、文章がとにかく面白い。皮肉とユーモアが入り混じっているし、翻訳文っぽさを加味しても、十分に読んでいて楽しい文体といえる。

人類には矛盾しているものを信じる素晴らしい才能がある。だから、膨大な数の敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒が、全能の絶対神とそれとは独立した悪魔の存在を同時に信じていたとしても、驚いてはならない。

めっちゃ毒があって笑う。

実際に、宗教のストーリーは、論理的に話を整合させようとすれば、いろんな矛盾を指摘することができる。

でも、人類は矛盾したものを信じられる素晴らしい才能があるからこそ(バカだからこそ)、原動力が生まれ、ここまで発展してきたとも言えるのだ。

 

無知を認めることで科学が発展した

それ以前の宗教的な知識は、「この世界で知るべきことはすべて知っている」というところから始まった。しかし、そのような宗教を抜け出して、「自らの無知」を自覚したところから、科学が発展していった。

近代科学は「私たちは知らない」という意味の「ignoramus」というラテン語の戒めに基づいている。近代科学は、私たちがすべてを知っているわけではないという前提に立つ。それに輪をかけて重要なのだが、私たちが知っていると思っている事柄も、さらに知識を獲得するうちに、誤りであると判明する場合がありうることも、受け容れている。いかなる概念も、考えも、説も、神聖不可侵ではなく、異議を差し挟む余地がある。

近代科学は無知を認めた上で、新しい知識の獲得を目指す。この目的を達するために、近代科学は観察結果を収集し、それから数学的ツールを用いてそれらの観察結果を結びつけ、包括的な説にまとめ上げる。

近代科学は、説を生み出すだけでは満足しない。近代科学はそれらの説を使い、新しい力の獲得、とくにテクノロジーの開発を目指す。

このような、「進んで無知を認める意志」「観察と数学の中心性」「新しい力の獲得」が、「科学革命」をもたらし、人類の進化を飛躍させたのだ。

 

科学はイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる

人類の発展は、「科学」オンリーのものではなく、その背景の政治や経済やイデオロギーを見る必要があるとハラリは言う。

科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない。たとえば、純粋に科学的な視点に立てば、遺伝子の分野で深まる知識をどうすべきかは不明だ。この知識を使って癌を治したり、遺伝子操作した人種を生み出したり、特大の乳房を持った乳牛を造り出したりするべきなのか? 自由主義の政府や共産主義の政府、ナチスの政府、資本主義の企業は、まったく同じ科学的発見をまったく異なる目的に使うであろうことは明らかで、そのうちどれを選ぶべきかについては、科学的な根拠はない。
つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。

「人間の探究心が凄かった!」とか「科学が凄かった!」とか、そういうことだけでもないのだ。

本書では、なぜヨーロッパで科学が誕生し発展していったのだが、イデオロギーとの関係で語られている。

 

裕福層と大衆の逆転

科学の発展を解説したあとは、現代経済について踏み込んでいくのだが、そこでもハラリの筆はキレッキレである。

経済を回すためには、「投資」と「消費」の両方が必要だが、貴族と大衆の役割が、過去と今では逆転しているらしい。

利益は浪費されてはならず、生産に再投資すべきであるとする実業家の資本主義の価値体系と、消費主義の価値体系との折り合いを、どうすればつけられるか? じつに単純な話だ。過去の各時代にもそうだったように、今もエリート層と大衆の間には分業がある。中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。豊かな人々は細心の注意を払って資産や投資を管理をしているのに対して、風ゆくではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。

昔は、庶民が投資をして貴族が消費をしていたが、今は、エリートが投資をして大衆が消費をしているらしい。たしかにそのとおりに思える。

「人間って…面白!!」ってなっちゃう。

 

大きな平和を達成したと同時に、今も危険に関して非常に敏感

ハラリが語ってきた歴史的な視野で見れば、現時点における「平和の達成」というのはとんでもない偉業だ。

ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。千年前から生きている人間は一人もいないので、かつて世界が今よりもはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう。そのうえ、戦争が稀になるにつれて、個々の戦争への注目度は増す。多くの人の頭に浮かぶのは、大半のブラジル人やインド人の平和な日常のことではなく、アフガニスタンやイラクで現在行なわれている激しい戦闘のことだ。

多くの人は平和の恩恵を忘れ、かつてと比べて極小になった危険に目を向けようとするのだが、そういう性質があるからこそ、様々なものを改善してくることができた。

 

歴史の総括は?

「これから人類はどうなるのか?」に関して、

人類にとって過去数十年は前代未聞の黄金期だったが、これが歴史の趨勢の抜本的転換を意味するのか、それとも一時的に流れが逆転して幸運に恵まれただけなのかを判断するのは時期尚早だ。

と、ハラリは結論を下さずにいる。今までの流れを考えれば楽観的な要素は多いが、見境いのない消費によって、人類繁栄の基盤が損なわれている証拠も数多く見つかると言う。

そして最後に、近代のサピエンスが成し遂げた比類のない偉業について私たちが得意がっていられるのは、他のあらゆる動物たちの運命をまったく考慮しない場合に限られる。疾病や飢饉から私たちを守ってくれる自慢の物質的豊かさの大部分は、実験台となったサルや、乳牛、ベルトコンベヤーに乗せられたヒヨコの犠牲の上に築かれたものだ。

ハラリは、人類が今まで行ってきた非道の数々について言及するのを忘れない。感受性の高い人は、読んでいてちょっとしんどいかもしれない。

 

そのあとハラリは、未来のこともちょっと言及しているが、本格的な未来予想は、『ホモ・デウス』という次回作にあたる著作で書いている。

 

『サピエンス全史』は、今までの人類の歴史。『ホモ・デウス』は、これからの人類の歴史を主に書く。

どちらも最高に面白いので、ぜひ読んでみてほしい。

 

『サピエンス全史』の要約&レビューは以上。

『サピエンス全史』は、それ自体が要約的な内容なので、あまり良い要約はできていないと思う。

ここで断片的に見るよりも、実際にハラリが書いた文章を読んだほうが断然面白いことは保証する。

 

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2018.12.30

 

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