藤沢数希の「恋愛工学」というのが流行っている。
聞くところによると、常識をくつがえす画期的な恋愛メソッドのようだ。
「恋愛工学」の方法やメソッドに関しては、藤沢数希による小説『僕は愛を証明しようと思う。』に書かれているらしいので、読んでみた。
本記事では、小説『僕は愛を証明しようと思う。』のあらすじ(要約)と、「恋愛工学は本当にモテるのか?」という解説をしていこうと思う。
「恋愛工学」に興味のある人にとっては参考になる内容だと思うので、よかったら見ていってほしい。
小説『僕は愛を証明しようと思う。』のあらすじ
主人公「わたなべ」が、結婚まで考えていた彼女(麻衣子)に、こっぴどくフラれる。この麻衣子という女性がめっちゃ酷いやつで、高級なバッグやディナーを貢がされた挙げ句、実は浮気していていて、「わたなべ」がそれを指摘すると着信拒否。
失意の「わたなべ」は、とあるキッカケで、仕事のクライアントである「永沢さん(恋愛工学マスター)」から「恋愛工学」のレクチャーを受けることになる。
「わたなべ」は恋愛工学を身に着け、色んなイイ女とセ○クスしまくる。
終盤にトラブルが起こる。仕事がキッカケで声をかけて関係を持った女性が実は既婚者で、浮気がバレた結果、「わたなべ」が強引にセクハラをしたということにされてしまった。仕事はクビになり、悪い噂のせいで再就職も困難に。
絶望しながら伊豆を旅していた「わたなべ」。昔カフェで会ったことのある「直子」と偶然再開し、恋愛工学のメソッドを使って恋仲になる。
ラストで、「わたなべ」は「永沢さん」にパーティーに誘われるが、今の彼女を大切にしたい、という理由で断る。「お前なら、ひとりの女を愛し続けるための恋愛工学を生み出すこともできるかもしれないな」的なことを「永沢さん」に言われる。
しかし最後、「わたなべ」が新しい女をナンパするところで小説が終わる。
小説『僕は愛を証明しようと思う。』の解説。
最後、ちょっと含みをもたせて、読者に考えさせる風にしてるけど、深い意味合いは特になにもないと思う(笑)
村上春樹による恋愛小説『ノルウェイの森』から登場人物の名前を持ってきてるのもしょうもない。
ひとつの作品として見るなら、「本当にこの作者はモテた経験があるのか?」と感じるくらい、ディティールがぼやけた内容だった。まあ著者の初めての小説ということで、単純に描写力の問題なのかもしれないが。
読んでみると、なぜ藤沢数希の「恋愛工学」が、小説という形式で本を出版しているのかがわかった。
「工学」とか「テクノロジー」を自称するのであれば、もっと簡潔に、理論や体系をまとめたテキストがあってもいいはずだが、そのようなものが出版されているわけでもない。
「恋愛工学」は、理論を説明するには向いていない「小説、漫画、ドラマ」という媒体で方法が解説されているのだが、なぜなら、実際にはたいした中身がないからだ。
「そりゃそうだろ」という当たり前の話を、何かスゴそうな横文字でネーミングしているだけだ。
例えば、本文を引用してみるなら、
スタティスティカル・アービトラージ戦略の基本方程式は、
成功 = ヒットレシオ × 試行回数
になるのだ。
みたいなことが、さも「画期的で高度な理論」を発見したかのようなテンションで書かれている。
ここで言う「ヒットレシオ」というのは成功率のこと。つまり、成功(女とセ○クス)の量は、成功率(その人の魅力や実力)と、試行回数をかけ合わせたものになる。ようは、「魅力を磨いてたくさんの女性にアプローチしたら成功するよ」という話。
「そりゃそうだろ!」という話なのだが、その程度のことを「スタティスティカル・アービトラージ戦略の基本方程式」みたいな小難しい横文字で言っている。書かれているのは終始そんな感じ。よく読めば、たいしたことは何も言っていない。
ちなみに、書いてある内容にしても、オリジナリティに乏しい。ナンパコミュニティで言われているようなことを、横文字で焼き直しただけのように見える。
この手の話については、ニール・ストラウス『ザ・ゲーム』などの書籍を読んだほうがいいかもしれない。
なお、当ブログでは、男性のための恋愛マニュアル本についての記事も書いているので、以下の記事も気になるなら参考にしてみてほしい。
なぜ恋愛工学がこれほど流行ったのか?恋愛工学の本当のメッセージ
じゃあ、なんでこれほどしょうもない内容なのに、「恋愛工学」は多くの男性の心を惹きつけるのか?
「恋愛工学」は、有効な恋愛テクニックを提供するのではなく、「女性軽視」を肯定してくれる本だから、ある種の男性を惹きつけるのだと思う。
恋愛工学に興味を持つような「モテない男性」というのは、何かしら女性に対しての不満や恨みを抱えていて、『僕は愛を証明しようと思う。』は、そういう人の琴線に触れる内容になっている。
『僕は愛を証明しようと思う。』では、まず主人公が彼女に酷い扱いをされてフラれるのだが、その彼女が、「こんなやばい女は現実にそうそう居ねえよ」みたいな感じの最悪な女性なのだ。この時点で、「女性に対して怒りと被害者意識を持ち、女性を軽蔑した方法をとることの正当性」を読者に与えている。
その後、恋愛工学のメソッドとして、女性に対して誠実に接しても逆に見くびられるだけだから、色んな女と同時に付き合え、ということが推奨される。
女性の容姿でランク付けをして管理したりなど、積極的に女性軽視的なシーンが挿入される。
ちなみに、おそらく著者の藤沢数希が決め台詞として書いたであろうシーンを引用すると、
「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」
「ああ、無料のな」
みたいな感じだ。ドヤ顔でこういうことを言ってる。
上手いと思うのは、「特定の属性に対して攻撃的になることの快楽」と「なんかスゴそうに見えるテクニックの共有」をうまくブレンドして、「恋愛工学」というコミュニティビジネスにしたことだ。
理論の有用さよりも、「読んでいるときの気持ちよさ、爽快感」によって、人気コンテンツになっている。
提唱者である「藤沢数希」が馬鹿だとは思わない。「恋愛工学」以外の著書では『損する結婚 儲かる離婚』なんかが面白い。
「橘玲」なんかとも似ているが、「金融界隈特有の身も蓋もなさ」があって、そういう不謹慎な視点は、たしかに面白いし、読む価値のある本になっていると思う。
ただ、「恋愛工学」に関しては、月額のコミュニティビジネスも運用しているみたいだし、おそらく情報弱者をターゲットにしたビジネスとして割り切ってやっているのだと思う。
「恋愛工学」は成果が出るのか?
恋愛工学の内容自体は、とてもしょうもないものだ。
でも、じゃあ恋愛工学を使ってもまったくモテないのかというと、そうでもない。「恋愛工学」に触発された人が、そのおかげでモテる、というのは十分にありえるだろう。
なぜなら、「行動した人間はいずれ成功する」からだ。
あえて恋愛工学的に言うと「成功 = ヒットレシオ × 試行回数」となるのだろうか。
要するに、試行回数を増やしさえすれば、どれほど間違ったやり方をしていても、結果は出るのだ。
現代の恋愛において、ほとんどの人が傷つくことを怖れて「試行回数」をまったく重ねない。だから、とにかく傷つくことを怖れずに色んな女性にアプローチすれば、それだけで何かしらの成果は出せる。
恋愛工学の効用は、「女性軽視を強め、倫理的障壁を取り払って、男性に行動を促す」ことにある。
重要なのは「行動できるかどうか」であって、恋愛工学のやり方でも、試行回数さえ増えれば、そりゃ成果は出る。
RPG風に言うと、恋愛工学は「行動力+5」「知力−10」みたいな効果を与えてくれるものなのだが、今のほとんどの男性は「行動力」が足りていないので、「恋愛工学」にならっても行動さえすれば結果は出る、という理屈。
しかし、当然のことながら、「恋愛工学」に頼らずに「行動」ができれば、それに越したことはない。
「恋愛工学」は、基本的に情弱ビジネスである。もし、『僕は愛を証明しようと思う。』やメルマガなどを読んで、「恋愛工学ってすげーいいじゃん!」と思ってしまった人は、自分の知能が危ういという自覚を持ち、もっといろんな本などを読んで勉強しよう!
当ブログでは「おすすめの本ランキング」なども紹介しているので、よかったら以下の記事もぜひ!
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